「2ヶ月で辞めたら人生終わりだ」
けれど、10年経った今思うのは辞めたことが、私の人生の再スタートだった──
新卒で配属されたのは希望とはまるで違う部署。
覚えることだらけ、叱責の嵐。
心も体もボロボロになった私は、自分を責めていました。
新卒で適応障害と診断。
この記事では絶望からどうやって立ち直り、看護の道を10年続けてこられたのかを正直に綴ります。
転落の始まり
就職先に選んだところは
・満遍なく学べる総合病院であること
・実家からそんなに遠くないこと(入寮し一人暮らしをしました。)
・一人暮らしをするにあたって生活しやすそうな環境だったこと。
こういった理由で入職を決めました。。
就職してすぐに研修が始まります。。
新卒向けの研修では各病棟を回るというものがあったのですが、
その年は予定されていた全病棟を回ることができなかったのです。
研修は終わり、感想と配属希望先をレポートにするよう求められました。
担当の方から
「来年、再来年のためにも良かった点だけじゃなくて改善点もあったら書いてくださいね。」
とのリクエストあり。
私もそれに従ってレポートを作成。
「フロアラウンドはとても貴重な体験でした。配属希望を考えるうえで大変参考になるのでぜひ来年度以降は全フロア回れると良いと思います。」と記入しました。
心が壊れた瞬間
ある日研修担当の方に呼び出されました。
小部屋に二人きり──
何だろう・・・。と不思議な気持ちだったのですが、とても嫌な予感がしたのを覚えています。
「なんであんな失礼なこと書くの?回らせてもらったフロアの人たちに失礼でしょう。謝ってきなさい!」
全く予想していなくて頭が真っ白になり、心拍数がどんどん上がりました。
言いようのない恐怖を感じながら担当の方と一緒に各フロアに謝罪行脚。
「大変失礼なことを書きまして、この度は申し訳ございませんでした。」
謝罪しているのを後ろで見ている研修担当の姿が怖かったです。
壊れてゆく体
その後配属が決まり、全く希望していなかった科に配属されました。
新卒は私ひとりの配属。
患者さんや面会の方に見えるところで怒鳴られたこともありました。
ほかにも残業代がわたしだけ支払われなかったり。
そんな日々の中、いよいよ眠れない食べられない日々が続き、メンタルクリニックに通院。
「適応障害」の診断でした。
その後も辛い日々は続き、高熱が出て体調も崩しました。
ついにある朝、申し送り中に突然目の前が歪んで、ふらふらして、そのまま床に倒れこんでしまいました。
退職
「2か月で辞めた人なんて誰も雇ってくれない。」 そんな思いで続けてきましたが、もう心も体も限界なんだとその日はっきりと分かりました。
そして最後の勇気を出して、退職の意を看護部長に伝えました。
退職の理由を聞かれたので伝えましたが、看護部長からは
「師長や研修担当の看護師もあなたに成長してほしいから言ったことなんですよ。」と言われました。
でももう何を言われても私の中で答えは出ていました。
こうして新卒で入った病院を2か月で辞めてしまうのでした。
心機一転
新卒で入った病院をわずか2か月で辞めてしまった私の体と心は、時間とともに少しずつ回復していきました。
傷ついた自分を労わりながらも、再び働くことを考え始めました。
とはいえ、いきなり常勤での社会復帰は怖かったので、慌てて決めるよりも、まずは単発の派遣から始めることにしました。
デイサービスや健診の単発業務。(→※経験談はこちら→【体験談】単発派遣でデイサービス勤務した看護師が語る仕事内容と注意点)
正直、人と話すことすら怖気づいていた私でしたが、現場に行ってみると全然違いました。
スタッフも利用者も優しく、複雑とは言えない業務でしたが、初めて看護師としてやりがいを感じた日々でした。
第二新卒として
こうして社会復帰の感覚を取り戻した私は、本格的に就職活動を始めました。
「転職」なんてどうすれば良いかわからなくてとりあえず「看護師×転職」で上位に出てきた会社に登録しました。
条件らしい条件はほとんど要求せず、ただ一つだけ伝えたのは
「2か月で辞めた私でも受け入れてくれる職場があれば」ということだけでした。
当時の私は給与とかで条件を言える立場ではないと思っていました。
しばらくするとエージェントから連絡があり、こんな私でも「会いたい」と言ってくれるクリニックがありました。
エージェントの方と面接の練習や、履歴書の書き方を指導していただき、無事
採用をいただきました。
なんのスキルも持ち合わせていなかった私ですが、先輩看護師や先生が教えてくださり、採血やサーフロー針、各種注射、心電図などの処置を指導していただき、自立できるようになりました。
人生は理不尽なことの連続
そして訪問看護→派遣で介護施設勤務→常勤で介護施設勤務
という経緯になるのですが、正直、大変なことはたくさんありました。
辛くて、悔しくて、涙を流した日もありました。
新卒2か月で病んだときは本当に家族や友人が心配してくれて辞めることを肯定してくれました。
でも、ずっと殻にこもってる生活ってできないんですね。
いつかはやっぱり働かなくてはいけない。
でも、重い腰を挙げて働いてみると、案外あっという間に時間は過ぎていくんですね。
みなさんも経験ないですか?休むほどじゃないんだけどちょっと体調悪い日に何とか頑張って出勤すると、意外とあっという間に仕事が終わって、なんなら体調もちょっとスッキリしたなんて経験。
結局人間「動く」といろんなことが変わってくる。
これは科学的にも証明されている話。
それでも「フルタイムなんてむりだよ。」
「常勤なんてむりだよ。」
という方は半日でもいい。3時間でも。パートでも派遣でもいいと思います。
残酷な現実ですが、誰かのせいにしても何も変わらない。
そして悲しいかな、働かないと生きていけないのも事実。
どんなやり方でもいいから、まずは歩みだすのが大切だと思います。
避けて通れない人間関係
とはいえ、働いてみるとそう単純でもなくて、どうしても「人間関係」という壁が待ち受けています。
私も、新卒時以外にも人間関係で悩むことはしょっちゅう。
というか、働いていればみんな誰しもあるはず。
「人間関係」って古代ローマから人類が悩み続けて解決できていない問題。
もはや「哲学」です。
私の場合、例えば、管理者が辞めるからという理由で勤務先が閉鎖になったこと。
よくわからない理由での叱責
介護施設の時は私だけカルテを見せてもらえない
他職種から理解を得られない
患者からの暴力、暴言
などなど挙げたらキリがありません。
理不尽な経験もあれば、自分が反省すべきこともありました。
人生はとても厳しく、何事も自分で解決していくほかありません。
ヨガでマインドセット
そんなとき私が出会ったのは「ヨガ」だったのですが、ヨガ哲学にはこんなのがあります。
「今この瞬間。呼吸にだけ集中する。過去を振り返って後悔したり、まだ始まっていない未来を想像して不安にならない。」
とてもあたり前のことですが、私はこの言葉に救われました。
現代にも通ずるヨガ哲学の言葉
他にもヨガ哲学には現代に通じる様々な格言みたいなものがたくさんあります。
「執着しない・手放す」
「足るを知る」
「非暴力(他人にも自分にも)」
「誰とも比べない」
ヨガと言えば体が柔らかくてスタイルの良い方がポーズをとってるものって思われがちなのでですが、あのポーズというのも哲学の一部で、ポーズ(アーサナ)を練習することで心を鍛えるという意味があるのです。
ストレス発散や運動不足解消のために始めたヨガだったのですが、私はヨガ哲学にドはまりしました。
当時の自分は仕事で辛いことがあるとコントロールできず、お菓子やお酒を好きなだけ食べたり飲んだり。
疲れて帰ったらお風呂も入らずそのまま寝てしまったり。
(ヨガには「シャウチャ(清浄)」という教えもあります。自分の身をきれいにすることは心身の清浄につながるというもの。)
結局あとで後悔するのに何かと言い訳をして、ご褒美と称して散財したりデザートを食べたり。
「疲れてるんだもん」といつもゴロゴロして休みの日は昼いや夕方まで寝たり。
いわば「堕落」した生活を正当化して、でもそんな自分が情けなくなって…そんな日常の繰り返しでした。
自分を軸にする
そんなときに出会ったヨガは「運動」の側面もあってメリハリがついたし、インストラクターが紹介してくれる哲学に心を支えてもらい、だんだんと自己嫌悪の状態から脱し、仕事でもプライベートでも自分が変わっていくのを感じました。
私が変わるきっかけはヨガ哲学がきっかけだったのですが、結局理不尽なことも、自分に原因があることも、すべて、自分を主語、軸にして仕事や生活をするのが人生を好転させるカギになるのだとわかりました。
理不尽を耐えたからこその強み
誰しも人生で失敗の一度や二度はあります。
でもそこから人間はいかにして這い上がるかが重要です。
死にそうなくらい辛いことから逃げてもいい。
けれどもいつまでも逃げ続けていいわけではありません。
これは私の持論なのですが「パワハラ」とか「ブラック」という環境を耐えた人、経験がある人って逆に強い人だと思います。
さらにそこから抜け出して、自分の人生を歩みだしている人はもっと強いと思います。
失敗や苦い思い出を経験に変え、これからは自分軸の人生を歩む。
そういう風に考えると今まで見ていた景色が全く変わって見えます。
自分の人生は自分でコントロールできるのです。
コメント